マイクロコンピュータシステム
TACOM6800N

はじめに
 その昔、コンピュータの魅力に洗脳された青年がその制作に全精力を注ぎ込んだ記録を綴った涙と感動のノンフィクションドキュメントです。(ちょっとオーバーかな) ワンボードマイコンの「Lkit−8」の購入から完成まで約2年、ソフトウェアを含めればさらに多くの時間が費やされております。(長期化したのは金銭的な理由もあったと思いますが) 当時作成した回路図やアセンブラのソースリストさらに購入したパーツの領収書などが発見され、これらを元に記憶を呼び起こして、できる限り記録に残せるようにまとめました。同年代の方々に昔を思い出して懐かしんで頂ければ幸いです。間違った内容があるかもしれませんがそこは当サイトのBBSにご指摘いただければと思います。

 当時、東京に職場があったこともあり、週に一度は秋葉原に通っておりました。休日には買い忘れのパーツを購入するために電車で一時間以上かけて一日に二度行ったこともありました。また、インベーダゲームが大流行(どこの喫茶店にもありましたよね)したために秋葉原に汎用LS−TTLタイプの一部ICが供給不足になり、使う予定がないのに角の欠けたような外国製(アジア方面)のICを高値で買い集めたものでした。これらの余剰パーツはいまだに物置にあります。

1.システムの全景
 下の写真は、システムの全景です。あとこれにOKI社製の80文字/行のインパクトプリンタ(ET-5200 当時\142,000で購入)がありましたが、数年前に処分していまいました。名称の「TACOM6800N」は、富士通のコンピュータが「FACOMシリーズ」だったので私の名前のイニシャルをつけてTACOMになりました。それにプロセッサの名前から6800をつけました。最後のNは特に意味はなかったような・・・。 いま思えばちょっとダサイ感じです。

 写真を撮るために物置から出してきたついでに電源を入れてみました。本体は電源が入り、FANも回転し、Lkit−8のモニタプログラムが起動しましたが、カセットMTはパチッと音がして電源のヒューズが切れました。ここであきらめてしまいました。うまくいけばテンキーから自作のモニタプログラムを起動し、フルキーボードやごちゃごちゃしたスイッチ類、そしてCRTモニタをサポートします。コマンドでCMT−OS(勝手に名前を付けておりましたが)をテープからロードして起動し、これで「TACOM6800N」コンピュータシステムが稼働する筈でした。

2.Control System
 コンピュータへの入力機器です。テンキーボード(Lkit−8に付いていたもの)とフルキーボード、スイッチ類そして6桁のLED表示部を自作ケースに収容しています。自作ケースはアルミシャーシをベースにアクリル板を加工して取り付けています。このアクリル板の加工が大変で割れてしまったりして作り直したりしました。また、写真にありますようにインターフェース部分は自作しています。それから外付けのデータ入力用スイッチ(写真4枚目)を作りましたがほとんど使用しなかったように記憶しています。ちなみにフルキーボードは、秋葉原ラジオ会館の小沼電気商会さんの24,000円の領収書が見つかりました。

3.CRTモニター
 当時の関東電子機器販売叶サのCRTモニタ「Logitec K−101」です。入力はNTSCでモノクロの9インチのブラウン管が使われています。領収書は見つかりませんでしたが当時4万円ぐらいだったと思います。

4.カセットMT
 外部記憶装置にカセット磁気テープ装置のユニットを購入して、電源、ケース、インターフェース回路を自作して、本体と接続して使用しておりました。汎用のケースを加工しましたが外見的に一番気に入った出来になりました。確か、テープ1本で片道600KBくらい記録できたと思います。往復で今時の3.5インチFDより少ない容量です。メーカ添付の約100ページの手書きレファレンスマニュアルも出てきました。

 下の写真は、ディジタル式のカセット磁気テープ装置のTEAC社製「MT−2」のユニットです。これも秋葉原ラジオ会館の小沼電気商会さんで2台で\164,000でした。少し後になって、5インチのFDドライブが出回り始め、チヨット後悔の日々でした。

 下の写真は、インターフェース回路と電源部です。基板もパターンを起こして自作しています。本体とは、バスドライバICを経由してデータバスとアドレスバスをそのまま接続しておりました。最初は本体とのケーブルの長さが原因で動作が安定せず、ケーブルを短くして解決しました。

5.TACOM6800N本体
 TACOM6800Nの本体です。430(W)×250(H)×300(D) 重量15kg。
ケースは、市販のケース(関東電子製で\15,000)を加工しております。背面の小さいアルミシャーシは本体内に入らなかったインターフェース回路(外付データ入力スイッチ用とEP−ROMライター用)が入っています。

 上から見た本体内部です。7枚のボードはLkit8用小型ラック(関東電子KERC-008 \19,000)2個に挿しています。電池は、時計用ICの時刻データ保存用のものです。

 これは、電源部です。2台のエルコー叶サ(現在のコーセル)スイッチングレギュレータで合計5V:20A,12V:1A,-12V:1Aを供給しています。ちなみに2台で\57,000でした。

6.各ボード
(1)MPUボード富士通「Lkit−8」
 下の写真は、Lkit-8の本体です。これにテンキーと7セグメントLEDが6桁ついたボードが付属して、購入価格が\77,000でした。今なら、そこそこの組み立てPCが1台買えます。最初は、このボードだけでしたので簡単なゲームをアセンブラで書いて、機械語に直して、テンキーで打ち込み、唯一の表示装置のLEDを使って遊んでおりました。それでも自分の指示どおりに動いてくれることに感動し、ちょっと直しては走らせ、こうしてコンピュータのとりこになったのです。

 作ったプログラムは、オーディオ用のカセットレコーダーに録音しておき、使う時はロードしてプログラムを起動するという利用方法でした。左の横になっている白いLSIがクロック1MHzで動作している心臓部のモトローラ系6800MPUです。(搭載されているMPUはセカンドソースの富士通製MB8861です)標準搭載のRAMは、512B+256Bでしたが下段の増設パターンに8112メモリを4個と右上のフリーエリアに2114メモリを2個載せて、2kBに増設しております。6800系MPUは、アドレスバスが16本で64kBのアドレス空間があり、IO系やRAM、ROM等すべてをこの空間に割り当てる必要がありました。当時としては十分な空間で高価なメモリを少しずつ増やしていったものです。といっても完成時期頃にはほとんどの空間が埋まってしまっていましたが。

(2)キャラクタジェネレータボード富士通「MB2504」
 Lkit−8シリーズの純正のキャラクタジェネレータボードです。(キャラクタしか表示できないのでこういう品名になっていたんです)出力はNTSCで80桁×25行で英数のみ表示できるものでオプションのキャラクタROMを搭載するとカナが表示できるようになっていました。これで\38,000でしたが、表示機能の貧弱さにがっかりしたものです。

(3)23kBメモリボード
 下の写真は、自作の23kBメモリボードです。Lkit−8の1kBと合わせて、0000H〜3FFFHと8000H〜9FFFHまでの計24kBのRAM空間を受け持っています。費用(一部推定)は、ユニバーサルボード\7,000、日立製HM472114P-4 \1800*46、周辺IC10個\3,000、ラッピングソケット\250*56で合計約\100,000(制作費別)です。ビットあたりの単価は0.543円/Bitで最近のPC133 256MBのSDRAMが\5,000とすると0.00000244円/Bitで22万分の1になります。(計算あっとるかな〜) 25年の歳月の長さを感じます。

 配線は、ラッピングソケットのピンにワイヤをラッピングしますが、これには手巻きのツールを使って地道に一本一本結線していきます。ボード1枚に一回は徹夜しております。これで一発で動作すれば幸運ですが、動作しない場合は回路図に色鉛筆でチェックしながら一本一本結線を確認していきます。7枚のボードのうち3枚がラッピングソケットを使っています。原因不明の不具合でワイヤを全部取り外してやり直したのもあります。私って、手先が器用なんですね。

 下のボードは、12KB RAM+4KB ROMボードです。これもラッピングソケットを使っています。4KBのROMには自作のモニタプログラム(今でいえばBIOSとOSの両方の機能のあるOSみたいなもんでしょうか)を書き込んであります。

 このボードは、市販の16KB RAMボードにパターン(一応、両面基盤です)を起こして作った8KB ROMボードを合体して、1枚のボードにしています。8KB ROMには富士通製の8KB BASIC(FACOM BASIC−α)を書き込んでいましたが、BASICのソフトはほとんど作りませんでした。この8KB ROMと前のボードの4KB ROMの計12KBの空間はRAMとオーバレイになっており、ソフトスイッチとハードスイッチで切り替えられるようになっています。

 このボードは、5KB RAMを載せた入出力インターフェースボードです。40ピンの3個のLSIが入出力用パラレルインターフェースです。

 こちらは、カセット磁気テープ装置用のバスドライバICを載せたボードです。まだ空きスペースがたくさんありますが、ここら辺で力尽きたといったところでしょうか。

7.その他
(1)EP−ROMライターとイレーサー
 EP−ROMにデータを書き込むライター(自作)と書き込んだデータを消すイレーサー(TOKIWA T-1A)です。ライターは、2708(1KB)と2716(2KB)に対応しており、TACOM6800に接続して書き込みソフトを起動して書き込みます。イレーサーは、中に紫外線を発光するのに小さい蛍光灯が入っています。イレーサーの領収書は見つかりませんでしたが\15,000位だったと思います。

(2)ディジタルチェッカー
 トラブルシューティング用に自作した「ディジタルチェッカー」です。TTLレベルの入力が2つでパルスをカウントしてLEDに表示するようになっています。当時、独身寮にいたときにシンクロスコープを持っていた先輩(この人もかなりはまっていましたが)がいて羨ましかった記憶があります。これ以外に所有していた測定器類は3枚目の写真の大きめのアナログテスター(SANWA N-501)だけでした。

8.ソフトウェア
 本機で搭載済みまたは実行できるソフトウェアは次のとおりです。
(1)Lkit-8付属モニタプログラム (ROM 1KB)
(2)MB2504付属ビデオモニタプログラム(ROM 1KB)
(3)自作モニタプログラム(4KB)
(4)自作「CMT-OS」プログラム(4KB)
(5)富士通アセンブラ(8KB) エディタとして利用していました。
  自作モニタ上で動作するようパッチを当てています。
(6)フリーでソースが公開されていたアセンブラ「RAM68」(4KB)
  2パスに改造して使っていました。
(7)富士通BASICーα(8KB)
  自作モニタ上で動作するようパッチを当てています。
(8)フリーの言語「GAME68」(2.1KB)
(9)EP-ROMライター用プログラム
(10)プリンタ印刷プログラム
(11)簡単なゲーム等数本

9.拡張計画
 このコンピュータのCPUを「究極の8ピット」といわれた「6809」にするためにCPUボードを作る計画でCPUや周辺LSIなどを買い集めましたが実現しませんでした。本業が忙しくなったのと、世間ではNEC製でいえばPC-8001から始まってPC-8801、PC-9801とパソコンが発売され、性能も格段に向上し、ワンボードマイコンの時代は終わったとショックを受けたものでした。

10.おわりに
 技術の進歩は凄まじいもので、25年の間に約1/8の費用でCPUで3000倍(1MHz→3GHz)のスピードのコンピュータになりました。25年後のコンピュータはどうなっているでしょう? 25年後が楽しみです。(生きていればですが)

(H15.11)